
Vol.19
授業参観 ━名の由来━
阿世賀 淳
詩人
2026.November
自分には想像も及ばないことを、時より子どもは大人に伝えてくれる。今日は小学三年生の息子の授業参観だった。特別支援学級に所属しており、息子のほか、四人のクラスメイトがいる。我が子は、小学生になる前、ようやく一メートル歩けたくらいだったが、今では階段ものぼれ、言葉も二語文、三語文を話せるようになってきた。
今回の授業参観では、一人ずつ、自分の名前の由来を発表することになっていた。発表と言っても、そもそもこれだけの親御さんを前にして、人前で話すということ自体が難しい。今回五人ともが発表できたことに、会場一同歓喜した。
発表一人目は、知枝ちゃんという子どもが話す。彼女の言葉は片言だが、我々大人たちも聞き取れるほど上手に話してくれた。そして、その言葉は、片言ゆえに、そっと私たちの胸の中に入り、身の内を熱くさせるのだった。彼女はたどたどしく、しかし堂々と言った。
「知枝トイウ名前ハ、自分トイウ木ノ枝ニ、知恵ノ実ヲ豊カニ実ラスヨウニト、ツケラレマシタ」。
会場は温かい拍手で包まれた。拍手が盛り上がれば上がるほど、私の内はより静かになり、時の流れが止まったかのようだった。知的障害の子どもたちは、一般に、知的機能の発達に遅れが認められている。だが、私たちが知恵と呼んでいるものは、その一部に過ぎないのだとしたら、私たちは何か大きな勘違いをして生きてはいないだろうか。知恵とは何であるのか、本当の知恵とはどういうものであるのか、それを大人たちに問い直すようだった。そして、その問い直しこそが、七歳にして堂々と話す彼女の木に、既に実っている知恵に思えた。
そこから怒涛のように他の子どもたちも発表する。息子と最も親しいユタカくん。字は、勝手に「豊」だと思っていたが、「由能」と書くらしい。由能くんは恥じながらも言った。「由能トイウ名前ハ、自由ノ由ト、才能ノ能ガ由来デス」。ここでも、知枝ちゃん同様、何か大事なことを問われたような気がした。この子の何が不自由であろうか、と。障がいのある子どもたちのキャリアというのはあまりに限られている。そのことに歯痒さを感じ、不憫に思う気持ちがないと言えば嘘になる。だが、この時ばかりは、そんな気持ちを吹き飛ばすかのようだった。彼の言葉には、それほどちからがあった。
うちの息子も発表してくれた。片言すぎて、何を言っているか、きっとわからなかっただろう。普段一緒に暮らしている私でさえ、わからなかった。だが、いいのだ。名の由来が気になるだろうが、もはや発表の内容が重要ではなかった。語る姿に胸を打つのだ。
授業参観の後は、普段、特別支援学級をサポートしてくれているボランティアさんの紹介があった。みんな、我が子のように成長を喜んでくれていた。七十代くらいのおじいさんは言った。「名前をね、呼ばれるだけで嬉しいんです」
うちの子の名は「絃(げん)」という。病気や障がいがあっても、この子が色んな人とつながって、自分の世界を広げていけるようにと、妻がつけた。人と人をつなぐという意味も込めた。それは発表で伝わらずとも、みなが知っていることだった。
阿世賀 淳(あせが じゅん)
詩人・対人支援者
人の内面や精神の成熟をテーマに活動する。