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Vol.5
「津久井やまゆり園事件」に対する裁判の判決文を読んで
山﨑 将文(京都橘大学健康科学部救急救命学科教授)
​2020.December

2020 年 3 月 16 日、横浜地方裁判所において、殺人事件の犠牲者数としては戦後最悪とされる「津久井やまゆり園事件 ( 相模原障害者殺傷事件)」に対する裁判員裁判の判決が言い渡された(横浜地判令和 2・3・16 最高裁HP)。そこで、判決文と併せて、法廷のようすも伝えている、NHKオンライン「19 のいのち―障害者殺傷事件―」を読んで、事件について考えたことを述べてみたい。


本事件は、2016 年7月 26 日未明、知的障害者施設の元職員であった被告人が、施設に侵入の上、「利用者 43 名に対しては、殺意をもって包丁で突き刺すなどし、19 名を殺害し、24 名に傷害を負わせ、夜勤職員5名に対しては、その身体を拘束するなどし、2名に傷害を負わせるなどした事案である。」。裁判での争点は、本件犯行時における被告人の責任能力の有無及び程度であったが、完全責任能力を有していたとして、「被告人を死刑に処する」という判決が宣告された。被告人が本判決を不服として 14 日以内に東京高等裁判所に控訴しなかったため、判決は確定した。

この事件の悲惨さとともに世間を震え上がらせたのはその犯行動機であった。すなわち、「被告人が意思疎通ができないと考える重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であるところ、自分が重度障害者を殺害することによって不幸が減り、重度障害者が不要であるという自分の考えに賛同が得られ、重度障害者を『安楽死』させる社会が実現し、重度障害者に使われていた金を他に使えるようになるなどして世界平和につながり、このような考えを示した自分は先駆者になることができるという」思い込みであった。ナチスの「生きるに値しない生命」という優生思想を思い起こさせる「不要な存在」という犯行動機、また一見すると、幸・不幸という功利主義的な考えのようでありながら、実はお金のみに捉われた唯物論的な経済合理主義に基づく犯行動機に唖然とさせられる。


それではなぜ、被告人は重度障害者が不幸であると考えるようになったのかというと、以下のような理由があった。2012 年 12 月、本件施設で勤務を開始した当初、友人らに、利用者のことを「かわいい」と言っていた。また、2015 年 12 月頃に、園にボランティアに来ていた女性に対し、「障害者も一人の人間だよ。心も感情もある。やさしく接したら大丈夫」と励ましていた (1)。ところが、被告人によれば、「職員が利用者に暴力を振るい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱っていないように感じたことなどから、重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」ようである。


職員が「利用者を人として扱っていない」というのは、まさに「人間の尊厳」に反する行為である。ここで「人間の尊厳」とは、人間を目的としてではなく、手段 ( 道具 ) として使用してはならないということ、人間を物扱いしてはならないということ ( 客体定式 ) である。被告人は、利用者に対し飽くまで他人事であるが、自分も3年2か月ほど職員であったことからすれば、自分が利用者に対し思いやりの心を持って接し、「人間の尊厳」に配慮した扱いをすれば、重度障害者は幸福であり、その家族や周囲も幸福にする必要な存在になり得たにもかかわらず、そうせずに重度障害者を殺害するという「人間の尊厳」を最も踏みにじる行為を行ったのである。

それにそもそも、何が不幸で幸福かの内実は個々の主体のあり方に依存するため、不幸・幸福概念の一義的な規定は不可能である (『岩波 哲学・思想辞典』1998 年・501P)。したがって、その生き方の不幸、幸福はおよそ他人の言及すべきものではない (2)。    殺害された 19 人の家族の多くは、法廷で重度障害をもつ家族との生活が幸福であったと語っている。「私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかったです。『不幸を作る』とか勝手に言わないでほしいです。」(19 歳美帆さんの母親が法廷で語ったことば)。「娘の笑顔は周囲の人を幸せにしてくれました。そして癒してもくれました。」(法廷で代読された 40 歳女性の母親のことば)。「娘は多くの人の心を癒やし、愛されて、娘の笑顔はたくさんの人を幸せにしてくれました。」(26 歳女性の母親が法廷で語ったことば)。「事件の年の正月に姉を囲んで食事をしました。毎年恒例の行事でした。新年会のように集まることが私たちの幸せで、きっと姉の幸せでもあったと思います。」(法廷で読まれた 60 歳女性の弟の調書)。「被告が何を言おうと勝手ですが、これまでの生活は本当に幸せでした。」(法廷で読まれた 41 歳男性の母親の調書)。「兄は私たちにとって大切な家族であり、一生懸命ジェスチャーする姿を見ることは家族にとって幸せな瞬間でした」。(55 歳男性の妹が法廷で語ったことば)。「旅先で息子はとても喜んで、飛びながら歩いていました。そんな息子の笑顔は本当にかわいくて、私や家族を幸せにしてくれました。」(法廷で代読された 43 歳男性の母親のことば)[NHKオンライン ]


このように、家族の証言によれば、被告人の言ったこととは正反対に、重度障害者は家族や周囲を幸福にする必要な存在であったのである。

また、「津久井やまゆり園事件」における殺人は人間の肉体的生命を奪う「生物学的殺人」であるのみならず、人間としての尊厳や生きている意味そのものを優生思想によって否定する「実存的殺人」でもあった (3)。というのは、重度障害者すべてがいらない、「不要な存在」であるという優生思想に基づく殺人であったからである。

しかし、「不要な存在」どころか重度障害をもつ家族がいたために、仕事を頑張ることができ、生活の張り合いになったという証言がある。「仕事も娘のためと思うと頑張れました。多いときには4つの仕事をかけもちしていました。」(19 歳美帆さんの母親が法廷で語ったことば)。姉に「何か買ってあげるために仕事を頑張ることが生活の張り合いになっていました。」(法廷で読まれた 65 歳女性の妹の調書)。それだけでなく、重度障害者からいろいろ教えられたという職員もいる。「何か周囲でまずいことが起きると、合図をしてくれたり、私の体を叩いたりして、私たちの気が付かないことも教えてくれました。自分の働きかけに対して、何らかの反応を返してくれ、自分自身教えられることも支えられることも多くありました。」(やまゆり園元女性職員・60 歳代)[NHKオンライン ]

他方、被告人は、「事件を起こす前、あなたは役に立つ人間だったんですか」と聞かれ、「僕はあまり役に立たない人間でした」と答えている  (4)。だからこそ、思い違いをして自分が役に立つ人間であると世間に認めてもらいたいという欲求から 事件を引き起こした可能性も全くないわけではない。また、重度障害者が不要であるという考えを示した自分は先駆者になることができると思ったようであるが、先駆者になることは到底できなかった。重度障害者が不要であるという考えの根元を歴史的に探ると、よく知られているのは法律家のカール・ビンディングと精神科医のアルフレート・エーリッヒ・ホッヘの『生きるに値しない生を終わらせる行為の解禁』(1920 年 ) という共著に遡ることができる。これを礎として、ドイツではヒットラーが命令し、1940 年から障害者を抹殺する「T4作戦」が実施され、第二次世界大戦中のドイツで虐殺された障害のある人の数は 20 万人余りといわれている(5)。あたかもこれを実験台にしたかのようにして、この後 600 万人のユダヤ人の大量虐殺 ( ホロコースト)が行われていく。第二次世界大戦後、このことを深く反省して、ドイツ基本法 1 条 1 項では、「人間の尊厳は不可侵である。」という規定が設けられている。被告人は、ナチスが障害者を殺害したことを知らなかったと言っているようであるが (6)、重度障害者が不要であるという考えを示した先駆者にはなれなかった。

しかも、重度障害者を「安楽死」させれば、重度障害者に使われている金を他につかえるようになるなどして世界平和につながるというのが被告人の主張であった。しかし、被告人の言う「安楽死」は、助かる見込みのない病人を、本人の希望によって、 苦痛の少ない方法で人為的に死なせる「安楽死」とは異なるし、障害者の殺人は法的に安楽死とは全く別の重大な犯罪である。さらに、重度障害者に使われていた金を他に使うといっても、戦争に使えば世界平和にはつながらない。結局、被告人の主張は、重度障害者が金を生み出す生産性がないということであろうが、本当に重度障害者には生産性はなかったのか。

これに対する答えは、生産性をどう定義するかによって変わってくる。生産性とは、「生産過程に投入された一定の労働力その他の生産要素が生産物の算出に貢献する程度」(『広辞苑〔第7版〕』)である。もし生産性が労働生産性の意味であるならば、確かに重度障害者にはほとんど期待できない。しかし、もっと広義に捉えるならば、重度障害者にも生産性がないわけではなかった。

「障害者福祉の父」とよばれる、糸賀一雄 (1914 ~ 1968 年 ) によれば、重症心身障害者には「立派な意志があり、意欲があり、自己主張があった。外界から刺激をうけとるだけでなく、外界にたいし先生や友だちにたいし、はたらきかけているのであった。外界を変えていこうとする努力があった。外界を媒介として自己を実現しようと、たゆみなくはたらいていたのである。」「肉眼では到底とらえることのできなかったような、なまな、いきいきした、生命いっぱいの、生産的な姿がそこにあった。」(7)。このように、自己主張、自己実現しようとしている生産的な姿も生産性とすれば、重度障害者にも立派な生産性があった。しかも、「心身障害をもつすべてのひとたちの生産的生活がそこにあるというそのことによって、社会が開眼され、思想の変革までが生産されようとしているということである。」(8)。つまり、重度障害者にも生産性があることを認めることにより、社会に価値観の転換、あるいは、パラダイムの転換さえもが生み出されるのである。

次に、「津久井やまゆり園事件」における犯行当時のことに触れておくと、被告人は、意思疎通のできない(しゃべれない)重度障害者を選んで殺害しようとしたと言っている。しかし、当初の目的はしだいに不明瞭なものとなっていき、やがて手当たりしだいに利用者たちに刃物で切りつけている (9)。それにそもそも、意思疎通と重度障害は本来一致するものではなかった。療育手帳制度からすると、重度知的障害とは、知能指数が概ね 35 以下であって、食事、着脱衣、排便及び洗面等日常生活の介助を必要とする者、あるいは異食、興奮などの問題行動を有する者、及び知能指数が概ね 50 以下であって、盲、ろうあ、肢体不自由等を有する者であった。重度障害者と意思疎通は別の概念であった。

その上、被告人の犯行当時、職員の口を塞いでいたガムテープが緩み助けを求めたところ、職員に代わり外に助けを求めに行ってくれた利用者や、拘束されていた職員の結束バンドを切るためハサミを持って来てれた利用者、重傷を負って「痛いよ」と言いながら職員に頼まれて携帯電話を持って来てくれた被害者などがいた (10)。利用者や被害者たちの多くは言葉を理解し、声をもった存在であった。仮に言葉が話せなかったとしても、意思表示、豊かな表情、身振り手振り、心をよせる気持ち、感情などがあった。殺傷された被害者の家族は、次のように語っている。
「ことばに出さなくても私の話していることを理解している様子で、『ありがとう』とか短いことばを話すことはできました。」
(法廷で読まれた 70 歳女性の兄の調書)。「意思疎通ができない入所者を狙ったということですが、個人的には疎通はできます。言葉が話せないので、どうしてもわからないことはあるけれども、表情や視線や行動で伝わることはある。」(重傷を負った女性の兄・50 歳代)。「『はい』『うん』『ごめんなさい』ということは話せます。計算をしたり文字を読んだりすることは出来ませんが、頼むとものを取りに行ってくれるなどジェスチャーでコミュニケーションをとることができました。」(法廷で読まれた 41 歳男性の母親の調書)。「息子は親や職員などの身近な人の話は理解できるようで、2つ程度の単語を組み合わせて話すこともできました。」(法廷で読まれた 43 歳男性の母の調書)[NHKオンライン ]


こうしてみれば、3年2か月も職員として働きながら、この事実さえ見ることのできなかった被告人の目こそ実は重症だったのである。


なお今回の事件では、皮肉なことに施錠されていた部屋にいた利用者の命が助かったが、ここから施錠された複数の部屋があったということが発覚した。2020 年5月の「津久井やまゆり園利用者支援検証委員会」の中間報告によれば、「24 時間の居室施錠を長期間にわたり行っていた事例などが確認された。この事例から、一部の利用者を中心に、『虐待』の疑いが極めて強い行為が、長期間にわたって行われていたことが確認された」(11)。部屋を施錠するためには、「切迫性」「非代替性」「一時性」の要件を満たす必要があったが、これを満たしていない部屋があったのである。なお、被告人が言っていたように、職員が利用者に暴行を振るっていたかどうかは明らかではないが、被告人自身、食事を食べようとしない入所者に対して、「動物をしつけるのと同じ」ように、障害者の「鼻先をこづいた」と述べている ( 第9回公判)(12)

また、犯行時、被告人から結束バンドで手首を縛られ脅されながら、利用者に「心があるんだよ」と訴え犯行をやめさせようとした勇気ある女性職員や、被告人が職員であった時に、「意思疎通のできない人たちはいらない」と言っていた被告人と口論になり諫めた先輩(主任)もいたようである (13)。このような職員たちもいた中で、障害者理解と障害者支援の方法を議論し、考え合うことのできるような研究会や研修などの機会を頻繁に設けていれば、今回の事件を回避できた可能性も少しはあったかもしれない。

「誰だって、生まれたときは、目も見えず、耳もきこえず、手足は不自由で、寝がえりさえできない、知能も未発達の、いわば重症心身障害児のようなものであった」(14)。また、将来、病気や事故で障害をもつ可能性は誰にもある。さらに、誰もが高齢者となったとき、やがて身体が不自由になり寝たきりになったり、認知症のため判断能力を喪失してしまうことがあるかもしれない。我々は、いわば重症心身障害者として生まれ、やがて何らかの障害をもって死んでいくのである。そうだとすれば、障害は他人事ではなく、自分のこととして受け止める必要があった。被告人が、謙虚な気持ちで、生まれたときと老いたとき、病気や事故に遭ったときのことを少しでも想像することができていれば、今回のような悲劇的な事件を起こすことはなかったかもしれない。
 

【註】
(1)「朝日新聞」2016 年 7 月 29 日朝刊・1 社会・39P
(2)廣野俊輔「相模原障害者施設殺傷事件と優生思想」:『現代思想』(44 巻 19 号)・2016 年・164P
3)藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫編『

           生きたかった―相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの―』大月書店・2016 年・39P(福島智執筆)
(4)NHKオンライン「19 のいのち―障害者殺傷事件―」:「事件を見つめて」(奥田知志執筆)
(5)藤井克徳『わたしで最後にして―ナチスの障害者虐殺と優生思想』合同出版・2018 年・33 ~ 34P
(6)前掲註 (4)
(7)糸賀一雄著作集刊行会編『糸賀一雄著作集Ⅲ』日本放送出版協会・1982 年・77P
(8)糸賀一雄著作集刊行会編『前掲註 (7)』113P
(9)渡邉琢「相模原障害者殺傷事件の刑事裁判を通して語られたこと」

        :『賃金と社会保障』(1759・1760 合併号)2020 年・10P
(10)渡邊「前掲註 (9)」13P
(11)「津久井やまゆり園利用者支援検証委員会 中間報告書」

        :『賃金と社会保障』(1759・1760 合併号)・2020 年・42P
(12)渡邊「前掲註 (9)」36P
(13)渡邊「前掲註 (9)」22 ~ 23P
(14)糸賀一雄著作集刊行会編『前掲註 (7)』290P

やまさき まさふみ
1958年生まれ。福岡県出身。憲法学専攻

 

【学歴】

  福岡大学法学部法律学科 福岡大学大学院法学研究科博士課程後期

 

【職歴】

  西日本短期大学法学科特任准教授

  西日本短期大学メディアコミュニケーション学科特任教授

  京都橘大学現代ビジネス学部都市環境デザイン学科教授

  京都橘大学健康科学部救急救命学科教授(現在)

 

【受賞歴】

  糸賀一雄生誕100年記念論文最優秀賞受賞

「憲法学からみた糸賀一雄の現代的意義」

   :『糸賀一雄生誕100年記念論文集  生きることが光になる』2014年

 

【著書】

  垂髪あかり・國本真吾・渡部昭男編/糸賀一雄研究会著

『糸賀一雄研究の新展開―ひとと生まれて人間となる―』

 (仮題)三学出版・2021年2月刊行予定(共著)

(『糸賀一雄と憲法における人間の尊厳』

     —「津久井やまゆり園事件」を契機として—』を執筆)

『憲法からみた福祉における「人間の尊厳」と自立』中川書店・2014年

 

【論文】

「イルカに権利はあるか—イルカの法的地位と権利—」

 『法政治研究』(6号)・2020年・121〜159P (J-STAGEで閲覧可)

「動物の法的地位—憲法の観点からの考察を含めて—」

 『九州法学会会報』(2019)・2019年、21〜24P (J-STAGEで閲覧可)

 

「動物の権利と人間の人権」

 『法政論叢』(54巻2号)・2018年・21〜41P (J-STAGEで閲覧可)

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