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Vol.14
作曲家・武満徹の言葉よりArtを解く
武満徹著作集1・「音、沈黙と測りあえるほどに」新潮社
鎌田 恵務
​彫刻家
​2024.August

【いつも沈黙と隣り合っている。】p15

彼らは宇宙が奏でる音楽、「天体の音楽」(1)「ens universale 」(2)と隣り合っている。

【形ずくるというのではなく、私は世界へつらなりたいと思う。】p18

彼らは、形なきものの形を見、声なきものの声を聞く(3)意識化されない無意

識的な生命を、アートを介して育み世界へ繋がり拡がってゆく。

【人々は樹々と交わり、石と交わり、空と交わっていた。 そしてそこでは詩と宗教

と歌と踊りが、分化されない総体として在った。】p31

彼らは、外界からの事象の働き掛けに、心と体の分化のない身体そのもので、自然のなかのリズム振動に反響し、共鳴し、宇宙リズムの一部と化する。

自らのモデュールによって世界に新しい発見をすることだ。それが芸術の表現と

いうことだと思う。】p36

彼らは、世俗のモデュール(module)、基準寸法という規範に捉われずに前進してゆく。

【図式的なおきてにくみしかれてしまった音楽のちゃちな法則から〈音〉をときは

なって、呼吸のかようほんとうの運動を〈音〉に持たせたい。】p37

彼らは、根源的感覚(体性感覚)から生まれる呼吸、リズムより、広い世界へと

ハーモニーを生む。

【吸う息吐く息はまさしく生命の歴史なのである。】p41

彼らの息吐く息は、ダンスや行進のリズムであり詩の韻律。それは、リズムの語

源であるギリシャ語のリュトモス(4)であり、人間の倫理、人間をしっかりと

支ているもの、人間を「作る」という、人間を人間であるように成り立たせてい

るという意味のものである。

【純粋に音によって思考するという訓練には欠けているが、音色にたいする感性は

するどい。】p43

彼らは、耳で聴いた「音」の印象を文字に移すことは出来ないが、想像的に聴い

た「音」を運動機能、身体でもって創出している。

【揺れうごく自然風景とともに音は明るかったり、かげをおびたりする。ここには

 問題を解きほぐす何らかの緒がある‥‥。】p44

彼らは、明暗の中、暫し躓く。それは時に痛みを伴うが、鈍敏の差はあるにして

も、彼らは「時」を編んで行く。

【ウェストミンスター寺院の鐘には、あきらかな人称があり、発展の契機がある。

日本の寺社の梵鐘は人称を省き、人称を越えた世界に融けるごとく響く。 静的で

あり感覚的なのである。】p45

彼らは,既成概念や世評や評価や由来や市価などには捉われずに、自由自在にコス

モス「美」を認識する。

【秩序というものは、音ひとつが活きているものであれば必ずそこに存在するもの

である。鳥の声を美しいと感じるのはそれゆえであるし、また、それは実際に美

しい】P49

彼らは無心に存在の神秘、音の流れに身を委ねる。

【音自体の存在、音自体の運動、つまり音は人間的な実在としてたえず発見されな

ければならなかった。】p51

彼らは、音によって導かれるままに真の音楽(生あるもの、智あるもの)へと向

かって行く。

【詩も音楽も沈黙に抗して発音するときに生まれた。沈黙に抗って発音するという

ことは自分の存在を証すこと以外のなんでもない。】p53

彼らの底知れぬ沈黙は、「いまここにわたしが生きている」というアクチュアル

が直接に現れて感じとられる感覚から響き出た音であり声である。

氏の素描は、方向をもった精神の集中的運動という意味で、あきらかにデッサン

なのである。それは生きる訓練だ。】p56

彼らのデッサンのモチーフは、「生命のかたち」である。

【石は存在に耐えている。耐えることしかしないのである。】p59

彼らは、一つとして同じものがない「石塊」であり「金剛石」である。

【日本では、いき ということが言われる。粋であり息でもある。また生である。
音を発することだけが自由であり、発音は瞬時に留まりながら絶えることはな

い。個人的な息から出発しながら、それは、自我を超えた〈生〉の脈絡につら

なる自在さである。】p64

彼らは、生命の基本的な活動である呼吸、プシュケーを尊む(5)

それは、まさしく生命のヴィジョンと言うべきものである。

【突然の感情飛躍は、肉体の生理と精神の生理とが不可分だからというより、それ

は肉体とか精神を越えた生命そのものの表われなのだ。】p68

彼らは、時にアンビヴァレンツ(6)に陥る。しかしそれは一つのことを志すため

のステップである。

ぼくらにはおなじように聴こえても、どもりも鳥も、いつも同じことはくりかえ

さない。その繰りかえしには僅かのちがいがある。このちがいが重要なのだ。p78

彼らの反復は、強弱などのトーンでありことばの「接ぎ穂」であるが、ここから

新たなものが生まれている。

【言葉それ自体は観念ではない。】p81

彼らは、辞書に載っている言葉の意味と相手に伝えたかった言葉との「ずれ」に

苦しむ。

【言葉と意味の食いちがいが生むある空白、ある眩暈、その部分にこそ、詩人は彼

の現実を定着しようとするのだ。意味が、言葉の容量を超える時におこる運動こそ、もはや物理学では律せられない〈生〉の力学ではないか。】p84

彼らのたったひとつのことばやあるいはほとんど無意味に近い音響さえもが、も

っとも深い意味、もっとも深い沈黙へと誘う。それは、彼らのいのちの力学であ

る。

【物を創り出すことはひとつの〈約束〉なのだ。】p94

彼らの創り出すものは、周囲の人々との相互関係から生まれる働きである。

【創作というものは、結局、個人のものだけれども、意識の中では集団的な民族の 

全体の問題として、それをふくんでいる現実というものを鋭く考え認識するという裏づけがなくてはならない。】p95 

彼らのコモン・センスとは、知識や理論や技法でなく、自分が感じ、知覚し、思ったことを、音楽や絵画を通し、培われた世界と交感することである。

【私たちは表面的な音楽の因習にけがされた範囲で音楽をとらえてしまうのだが、そこではいつも人間の素朴で本質的な〈聴く〉という行為は忘れられてしまっている。音楽は説明するものではなくして聴くべきものである。】p96

彼らは、目に見えない音の配列に耳を傾ける。「音は生きている」音の意志に呼吸を合わせ、耳を傾けている。

【音楽という名詞を、生き生きとした動詞に変える仕事が,「指揮」というものでは 

ないか。】p121

彼らは、動詞、副詞、形容詞が得意だ。そこから新たな名詞が生まれる。

【〈芸術とは眼に見えないものを見えるようにするものだ〉パウル・クレー。見える

ものより見えないものが大事。それが問題だ。】p135

彼らは、映像や演奏を見聞くし創作するが、そこに写っていないもの、聞こえていないものを、発見し、創出するのが得意である。

音楽は発音するという行為から生まれる。そのことを、泣いたり笑ったり怒った

りする、そうした挙動が音楽をかたちづくると言い換えても言い。足踏みをした り、木片をたたいたりして、番人たちが通信する。それらを芸術とよぶのは、あるいは誤りかも知れない。しかし、それは何にもまして深く生命と結びついたものだ。】p135〜136

彼らの演奏には、一声、奇声、叫び、床を叩く音など+αの多彩な音が含まれ、謳歌している。

【ジャズのプレイは、生きることの訓練だともいえる。】p149

彼らは、アート活動を介して、「生きること」を学んでゆく。

【映画の場合、それが個人的な性格の濃いものであっても、共同の操作を経ること

なしにはできない。そして、そこに芸術としての真の新しさがある。映画は総合芸術であるという。】p159

彼らが働く施設・工房には、様々な専門知識を持ったスタッフが居る。彼らの生み出すものは故に、総合芸術である。

【ことばって何だと言えば、コミュニケーションするうえででてきた符牒なんです

けども、言葉をつかうことで自分の中に他人という意識が出てきます。他者というものが、自己の内部に位置を占める。〈見る〉とか〈聞く〉とかいう行為は、自分ひとりでいるときには起こらないんで、必ず他者が自分の中に入ってきて、そういう行為がおきるわけです。つまり、そこでは、作家は自分の中に自分をみているということになる。】p164

彼らの呟き(独語)の行為は、「私が私に出会うということ」であり、また本質を知ろうとする「エンス」(7)でもある。

【音楽は数理的な秩序と密接である。したがって、あるときその論理性にだけ作曲

家の関心がむけられてしまうというといった危険がないではない。音楽の言語である〈音〉を、すでにあたえられたものとしてしまってはならないように思う。〈音〉にたいしての新しい認識がなされないで音楽が存在することはない】。p178

彼らの奏でるエモーションは、時に、不協和音である。しかし、この不完全さが魅力である。

【音は言葉のように正確に名附けたたり規定することはできないが、言葉では補え

ない感情を正確にとらえる。】p181

彼らは、無心に音の流れに身を委ね、時を超越し、「存在の神秘的」に触れる。

【鳥の啼声を自然の環境のなかで聞く時には、人間は他の自然の音(雑音)をも、

鳥の声と同じ価値のものとして聞いてしまう。】p189

彼らは言う。あらゆるものに声があり、音がある。花には花の、星には星の、石には石の声がある。(8)という。

【演奏家は、つねに間(空間)に音を聴き出そうとする。】p190

彼らは、空間・場(9)が創り出す関係を求め、間によって関係づけられた調和を志す。

【音はつねに新しい個別の実態としてある。なにものにもとらわれない耳で聴くこ

とからはじめよう。やがて、音は激しい変貌をみせはじめる。その時、それを正確に聴く(認識する)ことが聴覚的想像力なのである。】p190

彼らは聴くことからはじめる。音声やリズムの、最も原始的な、また起源に立ち

帰り(10)、万物の音の旅をはじめる。

【私の音楽形式は、音自身が要求する自然な形態であって、あらかじめ限定された

ものとして出発することはない。音を媒体として語ろうとするのではなく、音が私に向かって語りかけるようにしむけると、作品は、存在からひとつの力学的状態にちかづいてゆく。】p192

彼らは、間間、手指の動きを止める。そして心の深い内から運ばれて来るその声、音を待っている。

【言葉と交渉をもつと、私のなかに他者があらわれ、私の考えは緩やかにだがひと

つの方向性をもった運動として収斂されて行く。】p194

彼らの言葉と言葉の間、沈黙は、もう一人の自分との交渉の間であり、ムーブメントの契機である。

【まず、聴くという素朴な行為に徹すること。やがて、音自身がのぞむところを理

解することができるだろう。】p195

彼らは、ノイズや騒音、雑音、猥談、分け隔てなく音を尊び、この上なく聴く。

【一音を聴いた日本人の感受性が間という独自の観念をつくりあげ、その無音の沈黙の前は、実は、複雑な一音と拮抗する無数の音の犇めく間として認識されているのである。つまり、間を生かすということは、無数の音を生かすことなのであり、それは実際の一音(あるいは、ひとつの音型)からその表現の一義性を失わした。】p200~p201

彼らの一個人としての主体性を強く求めている一方で、集団への所属を求められる。個人対集団の構造は、緊張関係を生むが、この緊張関係より人と人との「間」 から人間が生まれる。(11)

【それは慣例(convention因習、しきたり、慣習)にすぎない。慣例に依存するかぎりにおいて、音楽はその〈現実real〉を獲得することはできない。】p207

彼らの、一連の行動を管理するとか既存の枠の中に入れるという事では無く、効率的かつ生産的な生活を実現するためのルーティン(routine)を彼らは貴む。

【私は音楽は生活だといいたい。】p209

彼らは、Artという「生活の術」を介して、より良く生きることを目指す。

【私は自分の音楽を無理に押しつけることはしません。特に美しい場面では普通“

音楽を入れろ”と言われます。しかし、そういう場面では音楽が入っていなくても、誰でも自然に自分の心の中に美しい音楽が流れるのをきけます。】p212

彼らの生きる文化とは、「美は生活の中にある」であり、真理や美は作られるものではなく、常に生命「時の中」に在る。

【音、沈黙と測りあえるほどに】

彼らの生きる底知れぬ沈黙の声、音、「エンス」(12)は、「沈黙と測りあえるほどに」尊厳に満ち満ちている。

(1) ピタゴラス・プトレマイオス・ケプラー「宇宙の調和」
(2) 稲垣良典「トマス・アクィナスの存在論」 ens universale エンス・ウニヴェルサーレ「全き

     在るもの」 知性によって認識される諸々の多様な形相的完全性のすべてをふくみ、一、

   真、 善、美などの超・類的transcendentalis特性と置き換えられる「在るもの」。神秘に対

   する驚異・賛美。
(3) 西田幾多郎「働くものから見るものへ」
(4) リュトモス:主に音楽用語。広義においては心臓の鼓動や歩く足音、声(音波)、生体リ

          ズムなど五感で感じられる周期性を持った現象。
   山下尚一「リズム概念の語源について」駿河台大学論叢第49号(2014)
(5)プシュケーは古代ギリシャの言葉で、息・呼吸を意味しており、転じて生きること、いの

   ち・生命、心や魂を意味する。
(6) アンビヴァレンツ:ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を

          同時に示すこと。                                     (7) 稲垣良典「トマス・アクィナスの存在論」ペルソナ論的存在論「ens在るもの」 
(8) 木村敏「形なきものの形」 
(9) 場:あらゆる存在と出会う convenire cum omni ente
(10 )T,Sエリオット「最も原始的なものに染み込み、起源に立ち帰って何かを連れ戻し、始め

    と終わりを求めて行く」The Use of Poetry and The Use of Criticism
(11)糸賀一雄「糸賀一雄の最後の講義」 「人間というのは、人と人の間柄と書くんです。人間

   というのは、人の間と書く。単なる個体ではありません。よく私たちは人間人間と言いま

   すけれども、それは社会的存在であるということを意味しておる、関係的存在であるとい

   うことを意味しておる。人間関係こそが人間の存在の根拠なんだということを、間柄をも

   っているということに、人間の存在の理由があるんだということです。」

(12)エンス ens:「在るもの」(哲学)存在・(音楽)アンサンブル

鎌田 恵務(かまた けいむ)

​彫刻家 1961年生まれ。

kamata keimu Work File 

https://www.keimu.com/

 

2017年 新宿副都心「Peaceー平和の手」設置。

 

ボランティア団体「こども夢基金アートプロジェクト」設立。

https://kodomo-yume.wixsite.com/kodomo-yume-art

 

障がい者の自立支援組織「だんだんボックス」設立にも関わる。​​

 

Art & Art  ウェブサイト公開
 

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